02

島を見守り続けるもの

瀬戸内海に浮かぶ小さな島。
のんびりとした時間を楽しめる、優しさに包まれている島。
そんな穏やかな島の色々な場所で。あたしはよく眠っている。
浜辺で、木陰で、道の端で、夏の眩しい太陽の下で。。
島のみんなは、いつものことだと温かく見守ってくれていた。
だから今日も眠っていてた。
野生……だと思う、キツネ……のはずの、イナリを抱き締めながら。
「ぽきゅ~……」
無理矢理息を押し出されるような苦しげな鳴き声に、うっすらと意識が覚醒した。
まだ夢見心地の頭で、周囲をぼーっと眺める。
ふと、視界の端を淡い光が零れながら横切った。
それは七影蝶と呼ばれる人の記憶が宿った不思議な蝶。
触れることで、その記憶を追体験することが出来る。
「あれ……?」
寝ている間に触れていたのか、目の前の景色とあたしの識らない記憶が重なる。
道の真ん中を、手を繋ぎながら仲睦まじく歩く男性と女性の後ろ姿。
それを見ているあたしは……誰なんだろう?
「蒼……?」
「しろは?」
少し離れた所から釣竿を持った幼なじみの女の子が、微妙に離れた場所から少し首を傾げながらこっちを見ていた。
「おはよう……?」
そして訊ねるような目覚めの挨拶をしてくる。
「うん、おはよう。」
「…………」
「…………」
しばらく無言のまま見つめ合って……。
「しからば……」
しろはは、ふいっと目を逸らして、海岸に続く道を進んでいった。
小さな頃はよく一緒に遊んでいたけど、最近はどこかよそよそしい。
……違うか、おとなしめだったあの子の手を引いて居たのは、双子の姉の藍だった。
今は、ちょっと理由があって病院で眠り続けている。
「さてと……」
あたしは空を見上げて、山の上にある太陽の位置を確認する。
それで時計が無くても、大体の時間はわかる。
「そろそろバイトの時間ね、行きましょうかイナリ。」
「ポン!」

島にある由緒正しき駄菓子屋があたしのバイト先。
時給の代わりに絶品の漬物という現物支給で働かせてもらっている。
この駄菓子屋は島で必要な物はなんでも取り扱っている。
同時に子供たち憩いの場所でもある。
だから今日も、知った顔が集まって他愛の無い話をしていた。
少し離れた所で、卓球バカの天善だけが息を荒くしながら素振りをしている。
「なあ、こんな話知ってるか?」
日焼けした体にパーカーを羽織った姿の少年、良一が真面目な顔で話を切り出す。
「この島では、カップルになると……ほぼそのまま結婚までいっちまうらしい」
「普通そういうものではないのか?」
良一の言葉に、怪訝そうな顔を向けたのは、夏休みでも制服姿で自作の水鉄砲を手に島内の治安を監視している“のみき”こと、野村美希。
「どうやら……都会ではそうでもないらしい!」
くわっと目を見開いた先には、チューペットを咥えた少年がいる。
先日亡くなった加藤のおばーちゃんのお孫さんで、遺品整理のためにこの夏休みの間だけ島へ来た鷹原羽依里だ。
良一が言ったとおり、本土からやってきたので、この島に比べれば都会……つまりシティボーイというやつになる。
「そうなの?」
あたしも羽依里に訊ねてみる。
「そんなことを聞かれても、俺男子校だし……」
異性関係は触れてくれるなといわんばかりに、語尾が弱くなっていく。
「ただ……他校の女子と付き合ってるやつは……気づいたら別の彼女連れてたりする」
「えっ!? 都会って一夫多妻制みとめられてるの!? ハーレム!?」
刺激的な言葉に、思わずあたしは声を上げてしまう。
「待って。一応、別れてから新しい彼女を作っているはずだから。同時じゃないはずだから」
「だとしても、一度は恋心を抱いた相手と別れるというのはどういうことだ? 都会はそんなに軽薄なのか? お前もそうなのか?」
のみきが目を細めながら、まるで責めるように羽依里を見ている。
「ち、ちがう! 俺を都会代表みたいな目で見ないでくれ! 水鉄砲に手を伸ばすな!」
言葉ひとつ間違えれば、改造水鉄砲ハイドログラディエーター改で撃たれる。
そんな緊迫感の中、別の所から言葉が飛んできた。
「何か問題があるのか?」
ラケットの素振りをしていた天善が、こちらの話に混ざってきた。
「卓球の混合ダブルスも、己を高め合うパートナーを見つけるため、異性をとっかえひっかえして様々なことを試している」
「と……とっかえひっかえ……様々なことを……!」
天善の刺激的な言葉に、あたしの脳内で言葉では形容しがたい破廉恥な卓球が繰り広げられ始めた。
顔は真っ赤になるのがわかる。
「蒼がピンク妄想モードに入ったぞ」
「いつものことだ」
羽依里と良一があたしを生温かく見ている。
「最良のペアと出会うことは一筋縄でいかない。もしフィーリングが……プレイスタイルが違うのなら別れるべきだろう。中途半端な同情は互いの為にもならない。本当に相手のことを思うなら、ペア解消こそ誠実な選択だといえるだろう」
ぐっと拳を握りしめて天善が熱弁した。
くやしいけど、説得力のある言葉だった。卓球においては。
「もっとも、オレは一度も混合ダブルスというもを体験したことがないがな。」
急に悲しい話になった。
「まあ、天善の言いたいことはわかるな」
羽依里は食べきったチューペットの空き袋をゴミ箱に捨てながら語り始める。
「付き合ってみなきゃ見えない部分もあるし、付き合わなきゃ見せられない部分もある。それを受け入れられるか、受け入れて貰えるか……恋人同士になるってきっと簡単なことじゃない。でも俺は……こいつだって決めたらその子を一生大事にしたいと思ってる」
そういって微笑んでみせる彼は、あきらかに浸っていた。
だけど、のみきは羽依里のそんな言葉に当てられ、乙女な目になっている。
あたしも……ちょっとときめいた。
「羽依里……」
なぜか良一も、ときめいた目をしていた。
「鷹原殿……」
天善は――……熱い眼差しを向けていた。危ない。

夜、あたしは近々始まる山の祭事の前準備のために、暗い山道を歩いていた。
先導してくれるのはイナリ。
何度も歩いている山道だけど、夜は全く別の顔になる。
「ポン」
「そっちは最近崩れた道ね。ありがとう」
あたしの家は、迷っている七影蝶を在るべき場所へ還すという役目を負っている。
何百年と続いている空門のお役目で、代々の巫女が祭事の期間、灯籠を持って夜の山を練り歩く。
今はまだ様子見なので、懐中電灯で夜道を照らしている。
「それにしても結婚かー……」
「ポン?」
「うん、昼にみんなで話してたやつ。この島でカップルになったらそのまま結婚までいっちゃうってやつ。そりゃ小さな島だし、付き合ったあと別れちゃったら気まずいから、結婚までいっちゃうわよね」
「ポン~」
「そもそも、小さな頃から一緒で家族同然だから、あんまりそういうのって意識できないのよね」
良一にしても天善にしても、物心がついたときから知っている。
ふたり以外の男の子も、家族ぐるみでの付き合いがあって、あまり異性として見られない。
せいぜい兄や弟といったところ。
うちの親も、おかーさんがこの島の人間で、おとーさんは島外から来た人だった。
そう……島外の人とは、むしろ恋に落ちやすいまである。
「羽依里って、島の外から来てるわね……ってないない! あいつデリカシーとかないし! 人にかき氷ぶっかけるような奴だし!」
誰に言い訳をしているのか、思わず声を荒げながら頭を振る。
「ポン!」
不意に聞こえたイナリの声。いつの間にか目の前に七影蝶が飛んでいた。
思わず、体を大きくのけぞらせてしまい体勢が崩れる。
そしてそのまま、道の端の藪に転がり込んでしまった。
「きゃあああああああああ!」
ガサガサと耳元に葉っぱや小枝が通り過ぎる音。
転がり落ちた先は、柔らかな草の上だった。
痛いとかそういうのは全然無く、びっくりしたというのが一番大きくてしばらく体が動かなかった。
「ポン! ポン!」
すぐにイナリが駆けつけてくれて、あたしの頬を舐める。
「だ、大丈夫。平気。でもここは……」
背の高い雑草がまばらに生えていて、見た目は悪いけれど、明らかに人の手が入った思われる広場。
そして同じく石造りの鳥居と階段。
何度も山の中を歩いていたけれど、こんな場所は初めて見た。
ふと、一匹の七影蝶が、その階段を上っていく。
「イナリ、行ってみましょう」
「ポン」
不揃いな石段に何度か足を取られそうになるけれど、蝶に導かれるようにゆっくりと階段を上っていく。
そうして辿り着いた場所には、古い社があった。
「これって……」
長年雨風にさらされて、屋根も壁も朽ちた社殿。
島民から忘れられた神社……。こんなのがあるなんて知らなかった。
「何の神社なのかしら?」
ここまで導いてくれた七影蝶は、神社の屋根の上をふわふわと飛んでいた。
「あなたにとって、ここは何か大切な場所なの?」
蝶に話しかけてみるけれど、答えなんて返ってくるはずもなく。
だけど、何かを訴えるように舞い続けていた。

「それは、おそらく玉姫さんじゃの」
翌日、駄菓子屋で店番をしていると、店主のおばーちゃんがそう言った。
「古い言い伝えじゃての。この島にはふたつの神社があって、島を守ってくれておったんじゃ」
「ひとつは鳴瀬神社ですよね?」
しろはの家が縁となる、鳴瀬家の神社。今は神職を退いているけれど、夏鳥の儀といった島の祭事は島民みんなで保護している。
「わしも小さい頃にばーさんに聞いたくらいでの。今では誰も知らんじゃろて」
「ところで玉姫さんて?」
「玉姫さんは玉姫さんじゃよ」
「人の名前?」
「玉姫さんの名前じゃよ」
よくわからない。
「くーださーいなー」
店の外から聞き覚えのある声。また羽依里がやってきた。
「いらっしゃ……って、みんな一緒だったのね」
羽依里だけかと思ったら、良一と天善も一緒だった。
みんなずぶ濡れになっている。
「のみきに撃たれたの?」
海水浴場以外で肌を晒すと、風紀の乱れと言うことでのみきに水鉄砲で撃たれる。
「みんな四神スクワットしてたら夢中になって、つい上着を脱ぎ捨ててしまったんだ」
「あの野郎……神聖な四神の儀式くらい大目に見ろってんだ」
「四神スクワットをしながら素振りでのみきの水鉄砲を撃ち返す……いい特訓だった!」
「玉姫さんへの奉納の儀じゃの」
おばーちゃんがタオルを持って、店先まで出てきた。羽依里たちに一枚ずつタオルを渡しながら微笑む。
「じーさんたちが名前を変えてしもーたが、本来は島のどこででもできる、玉姫さんへの感謝を表す儀式じゃった」
「玉姫さん?」
羽依里が首を傾げた。
「実は――……」
あたしは、昨日の夜見つけた、朽ちた神社のことを話す。
「浪漫を感じる」
羽依里の第一声がそれだった。
「朽ちた神社とか、歴史に埋もれた神秘と浪漫の匂いがぷんぷんするよな」
やや興奮気味に語る彼の目は、キラキラしている。それはきっと思春期特有の、永遠の14歳のアレだ。
ちょっとわかる。
「で、どうすんだ?」
次は良一がわくわくした声で訊いてくる。
「どうするって?」
「そりゃそんなもん見つけたら、直すっきゃねーよな?」
この島の人たちは、無ければ作れば良い、直せば使えるの精神が強い。
朽ちた社の上で飛んでいた七影蝶が気になってはいた。
何かしらの未練があるのはわかる。だとすれば、それはあの神社に関係するのかもしれない。
「ふっ……建築系は全身を鍛えるのに効率がいい。協力するぞ」
「古い神社とか、直接触れる機会なんてめったにないから、面白そうだ」
良一と羽依里もやる気になっている。
「じゃあ、やっちゃいましょうか!」
あたしがそういうと、おばーちゃんがほっほっほ、と笑った。
「資材はわしが揃えるでの。必要な物はなんでもいうがええての」

イナリに道案内をしてもらって、あたしたちは改めて朽ちた神社にやってきた。
「おお……雰囲気があるな」
「肝試しのルートに組み込みたくなるぜ」
「バチ当たりな事を言うな」
のみきも加わって、ボロボロの社殿を見上げている。
数歩下がって、しろはも来ていた。
「しろはも参加するなんて、珍しいな」
羽依里が気さくに声をかけるも、しろははこちらに体を半身に構えている。
「おじーちゃんが行けって言うから……仕方なく」
「まあ、神社ってことでなにかしら鳴瀬家にも縁があるかもしれないからじゃない?」
あたしはしろはに近づいて、その手を取る。
「え? な、なに?」
「一緒に、この神社を直しましょ」
幼なじみで集まることができて、なんだか嬉しかった。
のみきが周囲を見回す。
「さて、まずは草刈りからだな。道をどうにかせねば、資材を運ぶのに支障が出る」
「なるほど、どうやらオレの出番のようだな」
天善が得意げに一歩前に出て、ラケットを構える。
「何をする気だ?」
のみきの言葉に応えるより早く――
「サーーーーーーーーーーっ!」
甲高い声を上げながら、素振りを始めた。
「こ、これは!」
「全身のバネを使った大きな動きの素振り! 地面を這うような低空スイング!」
「まさかこの素振りで真空の刃を生んで草を刈るつもりなのか!」
羽依里と良一が天善の動きに拳を握る。

ブンブンブンブン!

「いける! いけるぞ天善! オレの素振りは! ラケット捌きは今、神の領域へと昇華する!」

ブンブンブンブン!

「吼えろ天善! 燃えろ天善! 爆ぜろ天善! 我は風神天善也ーーーー!」

15分後――……

ぶ……ん……ぶ……ん……

「こひゅー……ひひゅー……」

――肩で息をしながらも必死の形相で素振りを続ける天善の姿があった。
「まあ、そんなことできるわけないよな」
「草一本切れてねーな」
「駄菓子屋のおばーちゃんから、鎌を貰ってきたぞ」
のみきが人数分以上の鎌を持ってきた。
「では始めるぞ」
それぞれ作業範囲を決めて、草刈りを始める。
草の真ん中をしっかりと握って、引っ張りながら根元に鎌を入れる。
「ポン! ポン!」
イナリも尻尾に鎌を括り付けて器用に草を刈っていた。
「のみき、脱いでいい? その方が絶対に効率いいからさ」
「公道ではないから許可するが、後悔するなよ」
「やったぜ! んーーー……パーーーーージ! これで肩周りの制限がなくなって稼働率300%アップだ!」
良一が上半身裸になる一方で、羽依里は両手で鎌を構えていた。
「二刀流で刈れば速度は2倍。でも俺のテンションは3倍! つまり効率は6倍だ!」
ぐるぐると両手を回しながら、まるで草の中をクロールで泳ぐかのような鋭い手の振りで草を刈っていく。
こういう時、男どもはバカになるけど、頼もしい。
「鎌など不要! オレのラケットなら……唸れ真空の刃ーー!」
その一方で、m天善はまだラケットで無駄な素振りをしている。
「ん……しょ」
みんなから一際離れた場所で、しろはがこじんまりと草を刈っていた。
「しろは」
「な、なに?」
「腰痛くない?」
「平気……です」
「なんで敬語なのよ」
「……なんとなく」
「まあいいけどさ」
あたしは社殿を見る。
「ねえしろは。あたしたちのご先祖様ってもしかしたらこの神社で何かしてたのかしらね」
「何かって?」
「わからないけど、鳴瀬と空門って特にこの島じゃ古いじゃない」
「御三家って呼ばれてたくらいしか知らない」
「そうね、大層な呼び名よね」
今はもう途絶えてしまったけれど、神山という家があったらしい。
それぞれに巫女がいて、島を守っていたとかなんとか。
「鳴瀬神社があって、その前は神山神社だったのよね」
「うん、そうらしい」
「じゃあ、もしかしたらここって空門神社みたいな名前だったりするのかしら」
七影蝶に触れることで、たくさんの知識を得ているあたしでも識らない場所。
新しい何かを知れることに、どこかわくわくしている。
夏休みでの体験ということが、それを後押ししているのかもしれない。
「蒼は立派だね」
「え?」
「空門のお役目、ちゃんとやってる」
「そりゃまあ、先祖代々やってきたことだし」
「鳴瀬はもう普通の人になったから。だから蒼はすごいなって」
「あたしは……自分の為にやっているだけだから」
七影蝶が見えなければ、お役目なんて続けなかったかもしれない。
形だけの儀式だと言って、いずれは無くなってしまうものだと考えたと思う。
だけど、あたしには見えている。
空門のご先祖様の七影蝶に触れて、山の祭事が七影蝶を導くものだと知った。
だから、やらなきゃと思った。
自分の為にも。
そういう意味では、七影蝶が見えなかった母がお役目を続けていた事の方が立派だと思う。
純粋に伝統を、空門の役目というものを遵守していたのだから。
「それでも、蒼は立派だと思うよ」
もう一度、しろはが同じ事を言ってくれた。
「ありがとう、しろは」
それがあたしには、うれしく思えた。
「ぎゃああああああああーーーー!」
「!!?」
「え! なに!? どうしたの!?」
突然上がった良一の悲鳴に、全員が振り向く。
半裸の良一が、両手を天に掲げて震えている。
「か……体中……蚊に食われて……かい~の……」
よく見えれば確かに、全身至る所が赤く腫れている。
「そりゃこんな山の中で半裸になっていれば蚊も寄ってくるよな」
羽依里が呆れたように良一を見ている。
「想定内だ。こんなこともあろうかと、ハイドログラディエーター改のタンクに、虫刺され用の薬を混ぜてある」
のみきが、ゆっくりと水鉄砲を構える。
「撃って! 優しく撃って!」
「威力は変わらん」
「撃たないで! でもやっぱり撃ってーー!」
「死ね」
「掛け声おかしいだろーーー!」
のみきの細い指がトリガーを引き、強烈な薬入りの水弾が発射される。
「痛いっ! すーっとする! 痛っ! まって! 顔は……あ……目があぁぁぁぁぁーー!」
両手で顔を押さえながら、地面を転がる良一。
「天善天善天善天善天善天善天善天善天善天善天善テンゼーーーーーーン!」

ハラリ……

「い、今、草が1本切れた! うおおおおお! 我が卓球道は草薙の剣と化したぞーー!」
「ふう、ひとまず俺の担当範囲は終わったな。天善、そっち手伝おうか?」
「はい……鷹原殿、お願いします」
草をラケットで切れて満足したのか、天善は大人しく鎌に持ち替え、羽依里と一緒に真面目に草刈りを始めた。
「まったく、男どもは賑やかで仲良いわね」
「羽依里って……この夏に来たのに不思議」
「そうね、めちゃくちゃみんなと馴染んでるわ」
「うん、変な人」
「え……?」
彼女の羽依里を見る目に、ある種の感情が籠もっているのに気づく。
「しろは……もしかしてあんた、羽依里にときめいちゃってる……」
「え……冗談でもやめてほしい……」
本気で嫌な顔をしていた。

そして二日後。
「草を取り除くだけでもずいぶんと見栄えが変わるもんだな」
羽依里が額の汗を拭いながら、晴れ晴れとした顔で境内を見回す。
目につく範囲の草はあらかた刈れた。
社殿に続く参道の石畳も、箒で掃いて綺麗になっている。
振り返ると、島の全景が一望出来た。
それはまるで、この神社が島を見守るために建てられたようにも感じる。
「あれ? 青年団のひとたちが来たわよ」
石の階段を大きな荷物を担いで上がってくる集団を見つける。
「おう、ご苦労さん」
かなりの重さの荷物のはずなのに、青年団団長が涼しい顔で挨拶をしてくる。
「あとからじーさんたちもやってくる。こっからはオレたちに任せな。」
そう言うなり、担いでいた荷物を境内に広げ始めた。
木材やら銅板にノコギリ、ハンマー……大工道具一式といったところ。
羽依里と良一、天善は顔を見合わせると、青年団に近づく。
「俺たちにも手伝わせてください」
「草刈りだけじゃ物足りねーよ」
「ここからが真の特訓だ」
「ほう、今代の少年団は見込みがあるな。こき使ってやるから覚悟しろよ」
男たちが笑いながら作業に取りかかる。
「じゃあ……私はこれで」
自分の役目は終えたとばかりに、しろはは帰っていく。
「この先は大人と男どもに任せた方が良さそうだな。私は島の見回りに戻る」
のみきも境内を下りていく。
あたしは……。
「ポン」
イナリの鳴き声に、社殿の上を見る。
まだあの七影蝶はボロボロの屋根の上にとまって、呼吸でもするようにゆっくりと羽を動かしている。
「そうね、社殿の修繕を手伝いましょうか」
「ポン!」
壊れた屋根、崩れた壁、破れた障子に割れた窓ガラス。
それらを手慣れた手つきで島の大人たちが直していく。
羽依里はその様子を、目を丸くして見ている。
「え? 今のどうやったんですか?」
「なんとなくだ」
「なんとなく!?」
「考えるよりまず感じろ。感じる前に体を動かせ」
島のおじーちゃんは、しゃべりながらも手を動かし続けている。
ひび割れて崩落している壁へ、適当な動きで漆喰を塗っていくけど、嘘みたいに綺麗になっていく。
「おい、加納の小せがれ。ここを渇かしてーから、素振りをしておいてくれ」
「真空の刃を生み出してしまうかもしれんが、任せておけ」
「三谷の。そこの釘を投げてくれ。」
「何本だ?」
「ありったけだ」
「ほらよ」
「あーたたたたたたたあぁぁぁぁ!」
「げえええ! 空中の釘を全部トンカチで殴って木の壁に打ち付けやがった!」
「鳥白島水中格闘技を応用すればこの程度朝飯前よ」
「島のじじーども怖ぇーー!」
「じーさまたち。追加の資材だぞー。」
青年団が重たい資材を運び、年寄りと少年団が社殿の修繕を進めていく。
「お茶の用意が出来たから休憩してくださーい」
「まんじゅう作ってきたで、甘いもん食うて疲れ癒やしいや」
「じゅんばんでーす。おさけはきんしでーす」
島の女性たちも、飲み物や食べ物を持ち寄り、動いている男性陣の支援をしている。
老若男女、島民が一丸となって神社を復活させようとしていた。
「蒼ちゃん、どんなもんじゃ?」
「あ、おばーちゃん」
駄菓子屋のおばーちゃんが、あたしのとなりにやってきて、修繕中の社殿を見上げる。
「ずいぶんと綺麗にしてもらったものじゃの。玉姫さんも喜んでおるじゃろて」
「でも、この神社の鳥居には神額がないの。付けられていた跡はあるんだけど……だから正しい神社の名前がわからないわ」
「玉姫さんは玉姫さんでええじゃろて。忘れられていた神社をみんなが思い出した。それだけで玉姫さんも喜んでおるよ」
確かに、長年人が訪れずに朽ちていた社殿や境内に、今はたくさんの人が集まっている。
奉られている神様がいるなら、とても嬉しいことだと思う。
それでも、神域の境界である鳥居をくぐる際に、正しくその地の名前を掲げられた方がいい気がする。
そう考えるのは、信心深さを拗らしているのだろうか。
「よっしゃー! 玉姫さんのために今夜は徹夜で行くぞーー!」
休憩を終えたおじーちゃんが、顔を赤くしながら拳を突き上げる。
それに呼応するように、他のおじーちゃんや青年団の男連中も、赤い顔で「おおおおっ!」と雄叫びを上げる。
「って、お酒呑んでるじゃない!」
お酒禁止って子供が言って回ってたのに!
だけど――……酔っ払った大人たちの作業効率は精度を含め、恐ろしいほどに上がった。
島の大人……すごい。

夜通しかけた作業で、ぼろぼろだった社殿はあっという間に綺麗に修繕されていった。
大人たちや少年団の面々は、地面に転がって眠っている。
島の至る所で眠っているあたしが言うのも変だけど、大丈夫なのかしら。
ううん、こんな光景こそが、優しさに包まれているこの島の在るべき光景なんだろうな。
「うわ……死んでみたい」
階段の方から聞こえた声に振り返ると、そこには風呂敷をもったしろはが居た。
「こんな時間にどうしたの?」
「その……一晩中作業してるって聞いたから差し入れを……でも」
しろはは社殿を見上げる。
「もう直ったの?」
「ええ。嘘みたいな速さでね」
「じゃあ、このチャーハンおむすびは無駄だったかな」
「朝ご飯に置いておくとみんな喜ぶと思うわよ」
「そう。じゃあ、蒼に預ける」
しろはが両手で風呂敷の結び目を掴んで、こちらに差し出してくる。
それを受け取ろうと手を伸ばしたとき、ずっと屋根の上にいた七影蝶が、あたしたちの手に降りてきた。
「あ……!」
「え?」
しろはには見えていない。
だけど、七影蝶の記憶は、あたしたちに流れ込んでくる。
それはかつてのこの神社の姿。
そして見覚えのある……空門のお役目をする際に着用する巫女装束を着た少女と、夏鳥の儀の巫女装束を着た少女、あと着物に羽織姿の少女。
三人の少女の前には、白無垢と紋付き袴で身を飾った若い男女がいる。
一目で、過去にあったこの島での結婚式だとわかる。
空門の巫女が、祝福の言葉を述べ、新たな夫婦が誕生する。
景色が変わり別の季節。別の夫婦を祝った。
いくつもの夫婦を祝福した。
そして、お腹が大きくなったお嫁さんに、祈祷と祝詞を詠んでいた。
この島の、今に繋がる大切な営みだった。
縁結びと安産を司る神社。
それがこの神社のかつてのあるべき姿。
だけど、ある嵐の日、社殿は大きな被害に遭い、鳥居の上に掲げられていた神額も飛ばされてしまった。
この場所は階段も急で、身重の女性がお参りにくるには大変だ。
そのことから、婚姻の儀は鳴瀬神社へと集約されてしまった――。
これはかつての空門の巫女、あたしのご先祖様の記憶。
この地を忘れられたことへの未練……ではなく、この地で島を見守り続けたいという思い。
「……そういうことだったんだ」
記憶から戻ってきたあたしは、もう手から離れて空を舞っている七影蝶を見上げる。
「え……? 今のは何?」
しろはは何が起こったのかわからず周囲をキョロキョロと見回している。
「しろは、不思議体験しちゃったわね」
「蒼……?」
「ふふ、ちょっと手伝ってくれない」
ご先祖様の記憶の中で見た嵐の夜の記憶。
神額が風で飛ばされたその行方を辿る。
階段脇の土が盛られている場所を見つけた。
「ここ、掘るわよ」
「さっきの変な夢で見た……本当にあるの?」
「それを確かめましょ」
まだ暗い山の中で、女の子がふたり土を掘り返している様は結構シュールだと思う。
だけど、なんだか子供の頃に戻ったみたいで楽しかった。
こうやってしろはと遊んでいた頃があったんだから。
そして空が白んでくるころ。
「あった」
ふたり揃って声を上げる。
石造りの神額を掘り当てて、ふたりがかりで持ち上げる。
「うっ……重いっ」
「でも、見つけた」
まだ土で汚れた神額を境内まで運んで、水で綺麗に洗う。
そして、石に刻まれた文字がはっきりと読めるようになった。
「なるほど、玉姫さんね」
それを指でなぞりながらあたしは微笑んだ。

夜が明けて、あたしとしろはが見つけた神額を、大人たちに鳥居に取り付けて貰った。
羽依里と良一と天善が、口を半開きにしながら眺めている。
「へー、こういう名前の神社だったんだ」
「豊玉姫神社」
羽依里の言葉にあたしは答える。
「古事記や日本書紀にある、豊玉姫の伝説に縁のある神社だったのね」
「鳴瀬神社に対して空門神社とかそういうのかと思ってた」
「あたしもそう思ってた。でも、ご先祖様は自分達より神様の名前を優先したのね。気持ちはちょっと分かるわ」
たぶん、空門よりももっと古くからこの島の縁を育んできた神様なのだから。
ずっとずっとこの島を見守ってきた。
今、こうしてあたしたちがいるのも、この神社にいる神様のおかげなのかもしれない。
――感謝するぜ。
「え?」
夢で見た声が聞こえた気がした。
「どうした?」
羽依里が不思議そうな顔であたしを見ている。
今のはあたしだけに聞こえた?
ううん、しろはが不思議そうにあたしを見ている。
ふたりだけに聞こえた声……?
そっか。
「うん、きっとこの島を見守ってくれている神様が喜んでいるのね」
あたしは改めて島を眺める。
そして自然と、言葉が零れた。
「こちらこそありがとう、玉姫さん」

おわり
文章:魁