「土用の丑の日にはうなぎを食べる」
この風習を考案したのは、江戸時代の蘭学者・平賀源内(ひらがげんない)(1728-1780)だと言われています。平賀源内は香川県出身で、発明家、本草(ほんぞう)学者、文芸家などマルチな才能で活躍した人です。
本来、ウナギの旬は秋から冬で、夏になると客足が落ちることに悩んだうなぎ屋の店主が、何かよい案はないかと平賀源内に相談。
平賀源内は、土用の丑の日に「う」の付くものを食べて無病息災を願う風習にちなみ、「本日、土用の丑の日」と店頭に貼るように助言したのだとか。
鍬形蕙斎 原画 ほか『職人盡繪詞』第3軸 国立国会図書館デジタルコレクション https://www.ndl.go.jp/imagebank
ちなみに、「土用」とは中国の五行思想が由来で、立春、立夏、立秋、立冬の前日までの約18日間がそれにあたります。
そして、昔は日にちを「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」「卯(う)」「辰(たつ)」「巳(み)」と十二支で表していました。「丑の日」は12日周期で巡ってきます。
立秋前の「夏の土用」と「丑の日」が重なった日が、うなぎを食べる「土用の丑の日」というわけです。
高松市の御坊川沿いの老舗うなぎ屋さんを訪ねました
高松市街を流れる御坊川(ごぼうがわ)沿いにはうなぎ屋が数軒あります。
その一つ、「うなぎ屋 竹うち」を訪ねました。
うなぎ屋 竹うちは1935年頃の創業。もともとはウナギやコイ、フナなど淡水魚の漁業や養殖を行う卸が専門でした。御坊川付近にはそのような淡水漁業者が集まっていたそうです。
先代は、香川県のウナギ養殖の先駆者としても活躍していました。
その後、今の店主の父の代に、うなぎ料理を提供する食堂を開業しました。
香川県漁業史(1994年発行)によると、香川県でシラスウナギ(稚魚)からの集約的な養鰻業が行われ始めたのは昭和30年代。人々の生活が向上したことで高級嗜好が広がり、全国的にもウナギの需要が増えていた時期でした。
昭和30~50年頃は、高松市でも御坊川や春日川などで獲れたシラスウナギを養殖池で育てる養殖業が盛んでした。しかし、昭和50年代をピークに養殖業者の数は減少していきました。
うなぎ屋 竹うちも今は食堂がメインで、香川、徳島、鹿児島県産など、その時々の厳選した国産ウナギを仕入れています。焼きの技術や秘伝のタレから生み出される蒲焼きは、変わらず多くの人を魅了しています。
ウナギの焼き方は関東と関西で異なります。関東では、生の身を白焼きにしてから蒸して、仕上げにタレを付けて焼きます。関西では、蒸す工程はありません。
竹うちは関西風で、さばいた生の身を白焼きにした後、タレに浸して炭火で焼き上げます。皮のパリッと感と身のやわらかさの両方を味わえることが特徴。
たまりと濃口の2種類のしょうゆに、みりんやザラメ(粗糖)をブレンドした深みのあるタレ。炭火で焼き始めると、厨房には甘い香りが漂い、パチパチと香ばしく焼ける音が響いてきました。
これぞ王道のうな重、食欲をそそるビジュアル。うなぎの肝吸い付きです。
お好みで山椒をかけて。山椒は、蒲焼きの上にかけるのではなく、ごはんと蒲焼きの間にかけると、香りが飛ばなくてよいと店主が教えてくれました。
近くにある川中神社には、かつて淡水漁業や養殖が盛んだったことを偲ばせる石碑が残されています。
うなぎをおいしくいただいた後に、訪れてみてはいかがでしょうか。
| 基本情報 | うなぎ屋 竹うち |
|---|---|
| 住所 | 香川県高松市多賀町3-20-5 |
香川のウナギ漁のその昔
その昔、高松市の春日川や詰田(つめた)川の河口では、川底に棒杭を立てて、そこにシキビ(シキミ)、ウバメガシ、ヨモギなどの葉のある枝を束ねた「シバ束」を吊るし、枝に隠れていたウナギを網ですくう「シバツケ漁」という漁法が行なわれていました。
瀬戸内海歴史民俗資料館蔵 写真手前は高松市内で採集
また、雨の少ない香川県には、稲作のための「ため池」が多くあります。地元の人は秋にため池の水を抜いて、池の底にいるウナギを獲っていました。「ウナギカキ」という道具で引っかけていたそう。米の収穫後のごちそうだったに違いありません。
瀬戸内海歴史民俗資料館蔵 ウナギカキ 香川県外で採集
塩江町の内場(ないば)川や小出(こで)川でもウナギが獲れ、砂糖醤油でつけ焼きにしていたと伝わります。砂糖はサトウキビのしぼり汁を煮つめた白下糖(しろしたとう)が使われていたそう。
香川の風土とうなぎ文化を想像しながら、うなぎを味わってみてはいかがでしょうか。
参考文献
香川県漁業史 香川県漁業史編さん協議会 1994年発行
聞き書 日本の食生活全集37 香川の食事 農山漁村文化協会 1990年発行
2026.10.6
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